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ゆうきの贈り物

    
あーとすたじお源のメンバー ゆうきから 年末最後のすたじおで「福家さん これどうぞ」と差し出される。福家は「?これどうしたの?」と問い返すと「職場で新しく入荷されたお茶です。とても美味しいので福家さんにもどうぞ」 と...「どうして?僕に?」と問い返すと彼は「福家さん 最近疲れている様子だったから」「中身のお茶の黄緑がとても透き通っていてキレイなんです」
疲れている自覚はないのに ドキッとしてしまった。疲れていても週末のすたじおだけは見せないつもりでいたのに 何とも嬉しいような恥ずかしいような不思議な気持ちに...彼は遠方からやってくる すたじおに来ると一言も喋らず 集中して4時間筆を動かし続けて静かに帰っていく。めったに話すことのないゆうきは突然に 唐突に福家に贈り物をしてくれる。心踊るような気持ちになる福家は「一人のためにある」あーとすたじお源を改めて自覚する。そんな瞬間だった。そして 改めて自己管理と生活習慣を見直そうと思った瞬間でもあった。「ゆうき ありがとう」という想いで自宅に持ち帰り記念撮影...なぜか もったえなくて開けることができずに早2か月...そろそろ開けないと透き通るキレイな色を体感できずに終わってしまう...

津波の街を...巡る 大川小学校

 
 2020年3月 コロナ感染で自粛要請が出る前に 今しかないと察知するように ひとり宮城の仙台へ行く。新幹線で仙台に着いてから 1日2000円のレンタカー(オンボロ軽自動車?)を借りて 海岸線を眺めながら石巻へ すっかり暗くなり石巻の町で車中泊
     
明けてから海岸線を走り出し 釜谷地区にある津波被害の大きかった大川小学校へ辿り着く。3月と言えど 凍てつく寒さに小雪が舞う 真っ黒に空洞化した建物に異様な空気を感じる
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霊感なしと自覚する自分が 漂う霊気を感じる。ふと「ここにいる ここに何かがいるな」と感じる。大川小学校の被害の実態やその背景 当時の状況や経緯など 何も知らず TVニュースで裁判になっていることは知っていた という程度だった。
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屋上の上まで 津波がすべてを飲み込んだ様子だけは 建物を見れば当然だった。とてつもない水圧という破壊力に現実をみる。この時点で自身は 子供や教員たちが どのくらい避難できて無事だったのか と考え始めた。学校に隣接するように裏手に山がある 絶好の避難場所がすぐ裏にあり 津波避難区域にある学校としては避難場所に恵まれているな と思った。
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あまりの寒さに耐えきれず 車中へ 暖をとりながらスマホで大川小を検索する。被災当時 在校児童78名のうち 74名の児童が亡くなり 教員は11名のうち 10名が亡くなった。生き残ることができた児童は4名 教職員は1名だった。信じがたい事実に驚いた。すぐ近くに裏山があって なぜこれだけ多くの児童・教職員が命を落としたのか 不思議でならなかった。地震発生から津波到達まで約50分もの時間があったのに... その事実関係については時事を調べてみた。遺族側(故児童の親たち)が学校と教育委員会に求めた説明責任(逃げ遅れた状況と経緯 その理由)は果たされぬままに 真実は明らかにされず遺族側勝訴という判決で裁判は終わった。教員とはなんぞや 学校とはなんぞや 人間とはなんぞや 今 コロナの影響で当たり前が当たり前でなくなったこの時期に 静かな呼吸の中で考えてみたい そう思うのである...

★大川小における時事・記事
記事:その①
記事:その②
記事:その③

日記絵 

  

 筆をもつ ただ筆をもつ 何も考えず 
 血を浄化させるように 
 描くことに意味はなく 自身の浄化のために


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ワシン坂と剣さん 

    福家健彦 02
 日勤を早めに終える こんな日はアトリエの新しい拠点探しをする
偶然 山手の丘の上を通り過ぎると いつか見た風景にバッタリ出会う
そう... クレイジーケンバンドの横山剣がDVDの中で バイクに乗りながら紹介していた場所
 ここかぁ~ 剣さんの好きな場所のひとつ う~ん 確かに いい 
横浜をじんわりと感じる眺めに スケッチを忘れている自分が思わずスケッチしたくなる
この丘にある小さな公園で景色を眺めながら弁当を食べる 
 車で坂を下る途中にワシン坂病院という古い昭和を醸し出す看板が目に入る
この丘に来るまでの坂を ワシン坂というらしい...
 細い坂道を下り切ると本牧地域に入る そこでまた近くに剣さんが好きな「MOON」という車屋がある
エコカーという時代に背を向けるように 個性いっぱいで完熟した車が並ぶ
またいつか 自分の乗りたい車に乗りたいな~ と思いながら 好きな車に乗っていた時を想い出す
車屋に併設する「MOON cafe」には入れず 目の前のモスバーガーへ
ガラス越しに映るMOON cafe の若すぎる店員と客層にちょっと気が引けて...
  福家健彦 日記01   
 帰るころには日が暮れて もう一度同じ道を引き返して帰ってみる 
ワシン坂を上る 初めて見るこの丘からの夜景 そんなに派手さもなく 地味でいい 

 横山剣はふ頭で働きながら 40歳を過ぎてからバンド1本で生きていく道を選んだらしい
下積みが長く 地道に基盤ができるまで待ったのか その意思はわからない
剣さんは楽しそうだ 横浜を愛し 地元を愛し 仲間を大事にして 楽曲を最も愛する
 自分も 地元横浜で仲間を大事にする 制作を大事にする アトリエを楽しむ 生活を楽しむ
そんな拠点を横浜で作りたいと思う そんな日だった...


たいむすりっぷ

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 12年前 真夏の夕暮れ時に ここから対岸の横浜みなとみらいを眺めた。三日月ホテルの辺りだったか 華やかな 賑やかな ライトと大音響のステレオが遠くから木霊していた。大きなイベントライブをやっているようだった。「楽しそうだなぁ...」 ずっと何年も生徒ばかりを追いかけていた自分は 忘れていたように足を止めた。生徒と自分しか見なかったあの頃は 自分が社会から離脱しているように思えた。毎日が必死で生きていると疑わず 子どもと自分だけの毎日だった。ただそれだけが無限に楽しくて いつまでも終わらないでほしとさえ願っていた。自分と子どもの深い世界を築きながら 心底味わい 夢のように浸っていた。時に 現実ではない 夢ではないかとさえ思うことがあった。対岸に見えるライブの熱狂を感じながら 同時に何か 社会から取り残されるような静かな不安を感じた。ずっとこのままでいいのか 自分はこのままでいいのか 生徒のことばかり考える自分が幸せで 底なしだった。自分のことなどまったく考えず 自分の生活など顧みず すべてが生徒だったあの頃を 冬の夕暮れに想い出す。
 生徒の生き方ばかり考える自分が 少しずつ 自分の生き方を置き去りにしている 自分を止めていると感じるようになっていた。この景色を眺めた翌年に 心地よい夢に浸っていた学校を去った。今も 現実ではなかったような 幻想を見ていたような気持ちになる。あの時ここで 対岸に見えた あの楽し気なライブの様子も 幻影に思える。

プロフィール

福家健彦

Author:福家健彦
障害の有無を問わないアトリエ〈あーとすたじお源〉の福家です。現代社会から後世へ・・ 不易なもの 確かなものを残していきたいと思います。よろしくお願い致します。アトリエの詳細は下のリンクよりご覧ください。

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